イタリアの駅には日本のような改札口がなかったのですが

それも、異教の風習や祭礼がキリスト教に受け継がれ、現地の宗教と融合していくやり方である。ギリシャの神々を信じていた時代の人びとを改宗させるために、キリスト教は異教の神殿の場所に教会を建立することを積極的に奨励したのだ。ローマの南東に位置するモンテ·カッシーノという丘の上に五二九年頃に建てられたベネディクト修道会の総本山「モンテ·カッシーノ修道院」も、もともとギリシャ神話の太陽神アボロを祀った神殿があった所に、アポロ像を壊して建てられたものである。この修道院から派遣された一人の修道士マルティンが、今から訪れる「サン·ジョヴァンニ·イン·ヴェネレ修道院」の基礎を六世紀に作ったのだった。ドリス式神殿の瓦礫の上にキリスト教徒の祈りの場があるわけだが、思うにどんなに「顔」を変えても人びとの願いの本質は変えられないだろう。

イタリアの温泉だろう
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ラクイラ周辺を繁栄させるためにビジネスをどんどん展開していく
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イタリア人から見れば彼等が

ミラノに来たのは四月だったがインドではまず1回でネット環境が片づく事はない「サン·ジョヴァンニ·イン·ヴェネレ修道院」の名前にある「ヴェネレ」とはイタリア語で「ヴィーナス」のことであった。このフォッサチェシアの丘には、ヴィーナスの神殿があったのだ。この神殿も、キリスト教のベネディクト修道会に打ち倒され、破壊された。いまや亡霊のように音もなく沈んでいる。ヴィーナスはギリシャ神話ではアフロディーテと呼ばれているが、ギリシャ神話に登場する紀元前八世紀以前から「ヴィーナス」はこの地に住んでいた人々の信仰を集めていた。

ミラノの夏は暑いのに

日本のバーのイメージでバールを見ると誤解を生むだけではなくミラノは町の規模の割に有名人がよく集まるところなので、TVで見る顔にお目にかかる機会が他の大都会と比べて格段に多い)。確かに豊かな北と、貧しい南の格差は歴然としており、都市国家の集まりからたかだか百年余り前に統一されたという生い立ちを考えると、イタリアという国は、いつまた分離してもおかしくないと我々外国人には思える。それでも、ミラノ生まれの若いタクシーの運転手が、イタリアは一つだ、同じイタリア人だから南が困っていれば助けるのは当然」と言ったりするのは、カトリックの相互扶助精神のせいなのか。イタリアのブヴィアーニという経済学者が唱える「財政錯覚論」というのがあって、これは国民から税金を取り立てる際に、「皆さんから頂いた税金はこれこれの目的に使いほす」といったスローガンを掲げることで、税金徴収を正当化すると同時に国民に負担を感じさせないよう錯覚させることを言うそうだ。在日イタリア商工会議所の松浦専務理事は、イタリアの南部開発はまさにこの財政錯覚にあたり、せっせと税金を取り立てて南部開発のために投資するのだが、一向に効果が上がらないことを指摘されている。蚊の媒介で伝染することが発見されるまではでもこのイタリアという国、ミラノ生まれの働き者の男が、ローマかナポリ生まれの美人で料理はうまいが金遣いの荒い女性と結婚し、稼いだ後から女房が使ってしまう︵南部への投資)ので家計はいつも大赤字(財政赤字)、いっそ離婚してしまえとも思うが、何となく離れ難くて、ぶつくさ言いながらも生活はしっかりエンジョイしている、こんな夫婦と考えれば下世話だが判り易い。国は国民の鏡というが、これでは全くイタリア人の生活そのものではないか。イタリアに住んで日本を見ていると、日本という国はあらゆる面に於いて平等化を推し進め、その結果としてか単線指向が異様に強いように思える。それが最も象徴的に現れているのが教育制度であろう。小学校、中学校、高校を通じて、他人との違いを出来るだけ排除し(この言葉が強すぎるのであれば、目立たせず)、グループの一員として皆と一緒に行動することを徹底的に教え込まれる。

ヴァチカンができあがるまでである現在のタリアコッツォの町を歩きながら

ある時などは車の運転中に、高さ11メートル、幅五メートル程の大ポスターで一糸まとわぬ女性の姿が登場したのに出くわし、危うく追突しそうになったが、これが何と自然保護団体のグリーンピースの広告だったのには二度びっくり。毛皮をまとうのは止めて自分のヘアだけにしましょうとの意見広告。過激さでなるグリーンピースとあって、以前ロンドンの映画館で見た広告フィルムは毛皮を着た女性がファッションショーの舞台で一回りすると周りの観客に血しぶきがかかると言うもので誠に生々しかったが、同じグリーンピースもイタリアではひと味違うということだろうか。シリーズ物では我が家で良く行くスーパーの大手、エッセルンガのポスター広告が実に面白く、ブロッコリーを木に見立てたり、茄子をアシカに見立てたり、タマネギを熱気球にしたりと、よくまあ色々考えつくと思うくらい自分の店で売っている野菜·果物を徹底活用している。単純と言えば単純だが、子どもが見ても大人が見ても面白いし、金をかけずにアイディアで勝負という感じで嫌みがない。


イタリアの全身にもボディーブローのようにきいてくるだろう

次から次に新しい作品が出てくるので楽しみだし一連のシリーズのアルバムでも出来れば買いたいと思うくらいである。(その後、雑誌の記事で読んだところによればパリの現代美術館にこのシリーズが展示されているとのことだ。また私と同じようなことを考える客も多いと見え、とうとうエッセルンガでは自社のポスターを販売し始めた。同じポスターでも如何にも味気ないのは選挙ポスターで、こちらの方はお世辞にも「さすがイタリア」とは言い難い。この時ばかりと満面笑みの政治家の顔写真を並べる所は洋の東酉を問わないらしい。それにバルサミコ酢や豊富なワインが