サンマリノ共和国

こうやって見てみると、音楽を一生懸命勉強した人はイタリアで生活に困ることはなさそうであるそれにしてもクラシック·コンサートには何度も行ったことがあるのに、イタリアに来るまでオペラには縁が(と言うより正直なところ興味が)なかったのだが、偶々夏場ベローナの野外オペラのチケットを入手することが出来、何事も経験と行くことになった。ベローナの野外オペラは二千年前に建設された古代ローマの競技場(アリーナ)を使用して行われることで知られている。この日の出し物は、ベルディの「アイーダ」でアリーナには最もふさわしい華麗な演出の作品。同僚からオペラはあらすじと登場人物が判らなければちっとも面白くないとていたので、付け焼き刃ながら当日の昼、ミラノ市内の墡店で写真入りのオペラ辞典を買い求め、辞墡と首っ引きでストーリーを頭に入れ、登場人物をメモに書き出してベローナへと向かう。折しも夕方から大雷雨が襲来。

イタリア料理の修業を開始したのが日本

ベローナに向かう高速道路の向こうには雷雲と虹が美しくかかっていたところまでは良かったが、ベローナ市内に到着した時には土砂降りの雨。それでも、開演三0分前の午後八時半には奇跡のように晴れ上がり青空が見えた。予定より十五分遅れて午後九時十五分、いよいよ11万人の観客を前にオペラが始まった。正直なところ四時間もかかるのでは途中で飽きてしまうのではないかと恐れていたが、始まってしまえば舞台も音響効果も素晴らしく、その迫力に魅了されるばかり。やはり筋書きが頭に入っていると内容も面白く、幕間に次の場面の歌詞を読んでおけば難しいながらもストーリーの流れがわかるので十二分にエンジョイした四時間であった。

 

イタリア料理というよりはヌーボー·キュイジーヌ風つまり多少フラン

イタリアの方が一年早く学校教育が始まるので

実際には良く炒った豆を使い、高圧でコーヒーの旨みだけを引き出す飲み方なので、カフェインの量は日本で一般的なドリップ式のコーヒーより少ないくらいなのです。しかも小さなカップに半分くらいしか入っていないので、イタリア人のコーヒータイムはおおむねわずか数秒で終わってしまいます。日本ではアメリカ風の薄いコーヒーが一般的でこれに砂糖を入れずに飲む人が多いせいか、エスプレッソにも砂糖を入れずに飲む日本人も時々いるのですが、これは余りお勧めできません。カフェインは少なくとも、コーヒーのエキスは小さなカップの中にたっぷりと凝縮されているので、これをストレートで飲むのはかなり強烈です。イタリア人が山のように砂糖を入れて飲むのにもそれなりの理由があるんですね。

実はミケランジェロもイタリア人の一日は、自宅か町のバールで飲むカプチーノかカフェ·ラッテと呼ばれるミルク·コーヒーで始まり、夕食後のエスプレッソで終わるのが一般的ですが、コーヒーが全く駄目と言うイタリア人もいるし、夜飲むとよく眠れないという人も多いので、皆が皆、朝から晩までコーヒーをがぶ飲みしている訳ではありません。気を付けなければいけないことが一つ。イタリアのレストランで夕食を終えて最後のコーヒーになった時に、カプチーノを頼んではいけませんよ。イタリア人にとってカプチーノは朝食代わり。日本人だから大目に見て出してはくれますが、大量の料理を残した後にカブチーノでも頼もうものなら、「何だ、まだ食べられるんじゃないの」くらいの嫌味を言われかねません。
ローマの道の一つであるローマの富裕層に伝え
ローマの道の一つであるローマの富裕層に伝え

イタリアの郵便事情の悪さは有名でイタリアの伝統的な技法のひとつとして

イタリアなのだと信じていたこれが四分統治。そしてマクシミアヌスがイタリアとアフリカを統治しまさて、このディオクレティアヌス帝。彼が自ら引退後の隠居生活を送る場所として宮殿を建てたのが、そう、今のクロアチア、スプリトなのです。ディオクレティアヌス(在位:284年-305年)は、305年に政治から引退しました。彼は自分の故郷の近くに隠居用の宮殿を建てるよう命じ、故郷ディオクレア(今のサロナ近郊)にほど近い、海辺の町スプリトを建設の地に選びました。

次はアブルッツォで温泉に入る

宮殿はどっしりとした構造をしており、上記の写真でご覧戴けるように、ほとんどローマの軍事要塞のようでした。宮殿南側は海に面し、その城壁は170メートルから200メートルの長さで高さは15メートルから20メートル。この潤沢な宮殿と周囲には、当時8,000人から10,000人の住民が暮らしていました。476年に西ローマ帝国が滅亡すると、スプリトは東ローマ皇帝の支配下に置かれます。しかし、639年頃にスプリト近郊のサロナが他民族の侵攻で略奪されると、住処を失った市民の大多数が近郊のアドリア海諸島へ逃れました。ヴェネツィア共和国