イタリア人のことだから

ろフィレンツェで活躍していた芸術家ヴェロッキオに弟子入れします.のちに彼は、彼の作品、キリストの洗礼で、ダヴィンチに左側の天使を描かせたところ、それほどまでにダヴィンチの才能は秀でていたのでした。あまりの素晴らしさにヴェロッキオは筆をおったという逸話があります。彼のパトロンであったメディチ家が民衆によりフィレンチェを追い出されたのが、1494年。そこで彼はミラノへ向かい、そして多くの作品を排出するのでした。ミラノのサンタマリアデグラッツェ教会の食堂の壁画、最後の晩餐はもちろん皆様ご存知でしょう遅筆で有名なダヴィンチこの彼が編み出した方法がテンペラ画法です。

  • それが後に教会へと発展してゆくのでした
  • ス料理がかった料理にあるのではないかという点
  • 雄牛の角をつかむ男性の姿

イタリアも日本同様の山国で

ポンペイの遺跡などでご覧戴ける、古代ローマ時代から使用されるフレスコ画法ではなく、主に卵などを解き合わせて描くこの画法は、食堂などの湿気が多い環境には不向きでありまこれが原因となり、この作品はつねに他の画家によりいい加減な修復が重ねられ、オリジナルとは異なって描かれた部分が出来上がってしまったのでした。遠近法をあみだしたレオナルドダヴィンチ。左利きのために文字を右から左に書く、鏡文字を使用したダヴィンチ。そして彼は晩年フランス王家、フランソワ1世(神聖ローマ帝国カール5世のライバル)に仕え、フランスロアール渓谷のアンボワーズ城で没するのでした。ルネッサンス旺盛期第。

独自の切手がマニアの間で知られているのだが訪ねてみると国境はあるものの
独自の切手がマニアの間で知られているのだが訪ねてみると国境はあるものの

地平線まで一面に広がる水田の光景は強く印象に残っているが

だからこそアントニオも堂々と、申告書にレオナルドの母の名と、その夫の名まで書くことができたのだろう。ともあれ、おそらく授乳が終わった直後に、産みの母は家からいなくなった。父と新たな母は、ほとんどフィレンツェにいる幼いレオナルドを育てたのは、初孫を溺愛する祖父母であり、「何もしていない」と書かれた叔父フランチェスコだったろう。彼は出来の良い兄に似ず、同じく無職である父ののんびり屋気質を譲り受けていた。彼はわが子のようにレオナルドを可愛がったに違いない。

15世紀半ば以降には

その後、正式な甥や姪が二人に増えても、彼は当時の慣習に反して、婚外子のレオナルドを遺産相続人に加えたほどだ。こうして穏やかな愛につつまれながら、レオナルドはヴィンチ村で何不自由なく暮らしたはずだ。そして今とほとんど変わらないだろう自然の中で、将来の自然科学者としての博物学的な好奇心をも、自由に育てていったのだろう。Tivoliティヴォリ愛の楽園彼は、すべてを手に入れた--。たったひとつを除いては。

ナポリの裏町ほどは危なくないのだろうが

話を聞いていると座席の上に置いた財布入りの手提げバッグがホンの数秒のうちに消えていたというから、私の知っている日本人が遭遇した手口と全く同じである。このビジネスマンと通路を挟んだ反対側の席には日本人の四五人のグループが乗っていたので、ひょっとすると、この日本人グループを付け狙ってきた犯人が偶々このビジネスマンのバッグを見つけ、チャンス到来とばかり失敬してしまったのかもしれない。もしそうであれば、このビジネスマンにとってはとんだ災難だった訳で気の毒としか言いようがない。不思議なのは、パスポート、航空券と現金の入ったバッグが置き引きにあった日本人で、後でパスポートと航空券だけは見つかったケースが何度かあること。盗む方も盗人の仁義と言ったものでもあるのか、それとも期待以上の現金が入っていたのですっかり気を良くして貴重品だけは返してやろうと言う気になったのだろうか。

シエナも一時期は肩を並べるほどの成功をおさめていた
シエナも一時期は肩を並べるほどの成功をおさめていた

ミラノから郊外に向かう道端に夜になると出没する世界最古の職業の女性達

それにしてもミラノ市中心部の警察では日本語の盗難届を用意しているというから驚きである(これは私のイタリア人同僚が日本人出張者の盗難届を出すのに同行して実際に目撃しているので間違いのないところ)。同様の置き引きだがちょっと変わったやりかたで、三十人ほどの日本人の団体がレストランにぞろぞろと入る時一緒に入り、着席のどさくさに紛れて私の同僚が椅子の上に置いた鞄を盗んでいった輩がいた。(ちゃんと背広.ネクタイの格好をしており、レストランの人間は同じグループだと思っていたそうだ。これには後日談があり、一ヶ月ほど後になってこの同僚の自宅に、鞄の中に入っていた運転免許証、身分証明書自宅の鍵などがひとまとめになって返送されてきたという。こうなってくると、この商売も鞄の置き引き、金目の物の回収、余計なものの返送までシステムとして確立しているのかと疑いたくなるもう少し複雑な手口としてはアイスクリームを服にわざとくっつけ、これを拭いている間に財布を頂くという今や古典的となった方法に加え、たまたまホテルの入口の外で待ち合わせをしていた日本人出張者に1人が公衆電話の使い方を聞いて注意をそらせ、その隙に足下に置いたアタッシュケースをもう一人の仲間が失敬したとのケースもある(やはり鞄は足の間に挟むしかなさそうだ)。