ローマを目指したのでした

あるいは地下鉄に乗っても
イタリア人といえどもそう無茶苦茶をしている訳ではなく

時おり、老人が道路を掃いている姿があるにはあったが、かつて七万人もが住んでいたとは思えなかった。「サン·ベルナルディーノ大聖堂」がらんとしたラクイラ市内を歩きながら、なんとしてでも辿り着きたい場所がもう一つあっトスカーナ地方のシエナが誇る聖人ベルナルディーノが眠る教会「サン·ベルナルディーノ大聖堂」である。地図とガイドブックを見ながら人影のない寂しい石畳を上ってテクテクと歩いていると、時折やせ細った犬がさまよっているのに遭遇した。一瞬ギョッとして立ち止まると、犬もこちらの様子をうかがっている。この犬も震災の犠牲になり飼い主を捜して終わりのない旅を続けているに違いない。

日本人が日本人だけで孤立してしまう危険性もはらんでいる

過ぎ去ってしばらくすると遠吠えが悲しく聞こえてきた。人間にも動物にも多大な被害と不幸をもたらした地震を恨まないではいられなかった。比較的広い坂道を上っていくと、突き当たりにまるで一枚の四角い大きな壁のようなものが石段を見下ろすように建っていた。これが「サン·ベルナルディーノ大聖堂」であった。「壁」と言ったのは、あの「サンタ·マリア·ディ·コッレマッジョ大聖堂」と同じく、この教会もファサードが大地に沿って水平に広がる堂々とした長方形だったからである。

それを合わせてアルファベットという

さらに長身、色白、黒い目、しかし若はげ、シーザーは18歳で初めての結婚をします。そして死ぬまでに4人の婦人を迎えますが、愛人やちょっかいをだした女性は無数にいることから、若ハゲの女たらしというあだ名があったそうです。23歳で政界入りし、元老院議員となります。執政ポンペイウスの地中海総指揮官就任に、元老院でただ一人反対するなど、気骨のあるところをみせ、32歳の時大富豪から借金をして選挙運動を行い、財務官に当選。スペインの反乱を鎮めて軍人として名を挙げます。ベトナムではどこもかしこもWi-Fiではなく有線ネットだらけと思っている

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3年後造営官となると、自前で派手な闘技大会を主催して市民の人気を集めます。その後植民地スペインの高官に命ぜられ、辞令が発表されると、借金取りが大勢殺到して、注目され始めます。「借金を払ってからでないと行かせないぞ」といきまくと、先の大富豪に再び大借金をして出かけ、見事反乱を鎮圧して巨額の戦利品を持ち帰り、それまでの借金を返済するなど逸話は多々。さらには有力者ポンペイウスと、政略結婚を通じて近づき、着々と地を固め、39歳の時にはローマ政界の3すくみに乗じてポンペイウス、ですそして彼を世界史の中に名をとどめることとなるガリア制服にとりかかるのでした。クラッススとともに第一次三頭政治といわれる時代を作ってしまうの政界の頂点に達したシーザーは念願の植民地拡大を目指し、ガリア、今のフランスの全土掌握に出かけるのです。

ギリシャ人の文化を
イタリアを訪れるのでした

イタリアのロンバルディア州の語源はこのランゴバルドの意味族です

マントバの宮殿や宣教師たちが日本人に伝えたかった-とは、人びとの罪や過ちに対して体罰を与えずに、寛容と愛情をもって見守るやりかたであった。これはキリスト教の原点であった。そして彼の強さは、日本の文化を尊重し、その上でキリスト教を理論的に説明できる「考え方」に支えられていたことだった。だからこそ、ヴァニャーノは三三年間に及ぶアジアでの布教活動を不屈の精神で毅然として続けていけたのだろう。三五歳で旅立ち、アジアを回りながらようやく日本に着いたときは四〇歳になっていた。

イタリア語とイタリア

それ以後、二度と愛する故郷キエティの土を踏むことはなかった。ヨーロッパの土を踏む機会もなかった。彼の言葉にはまだつづきがある。「日本人は世界で一番利口な国民です。理性が教えることに従うことを愛し、我々よりすぐれています……日本人は自分たちの怒りを示すことを極端にいやがります。