ルールが頻繁に変わることで

しかし終わったのが午前1時半近く、隣の席に座っていたドイツ人夫妻は最後の場面を見ずに帰ってしまったが、おそらく「予習」してなかったのだろうな。でもこんな風にローマの遺跡を現役のオペラ劇場として使ってしまうという発想は、歴史を現代に生かすイタリア人のならではの発想と感慨深かった。我々日本人にとってはオペラと言うとどうしても重たいイメージになってしまうが、イタリア人にとっては、はるかに親しみやすい存在なのは間違いないようで、ポピュラーなオペラの曲をTVコマーシャルで聞くことはよくあるし、サッカーを見に行くと応援歌がオペラの替え歌だったりする(ベルディやプッチーニが多いのはお国柄か)私が丁度ミラノに来た頃、イタリアでもカラオケが大流行していたが、その原因の一つがテレビの、その名も「カラオケ」というそのものズバリの番組であった。この番組は各地を回って地元の出場者に喉を競わせるという、まあNHKののど自慢のような番組で、司会者のフィオレッロという歌手はカラオケの王様と呼ばれ、翌年のサンレモ音楽祭にも出場する活躍ぶりだったのだが、イタリアならではと思ったのは、ここにもオペラが登場するのである番組の中では「カラオペラ」と言っていたが、素人が出て来て堂々とオペラのアリアを歌うのには驚いてしまっイタリア人にとってオペラは日本人にとっての演歌のようなものかもしれない。ミラノのサンシーロ·スタジアムはACミランとインテルのホームイタリアのスポーツと言えば誰でもまず最初に思い浮かべるのがサッカー。

  • 印象が強烈なせいか
  • ローマ学院で布教に必要な知識をさらに学んだ
  • イタリア料理と言う本は

写真のようなこうした騙し絵防護壁をしばしば見かけますので

九四年の米国ワールドカップで、ブラジルとイタリアがPルKで決勝を争ったのもまだ記憶に新しぃところだろうし、三浦カズ選、手が当時セリエA(一部リーグ)のジェノアで活躍したお蔭で日本でともイタリアのサッカーはすっかり馴染み深くなったようだ。ミラノにラはACミランとインテルの2チームがセリエAで活躍している。両ACチームの本拠地がミラノ郊外にあるサンシーロ·スタジアム。一九九0年のワールドカップ開催時、三階席まで増築された屋根つきスタジジアムは収容人員八万人、セリエAの定期戦が行われる毎週日曜日にはスファンたちであふれかえる。ロッサ私の自宅はこのスタジアムから僅か二百メートルの距離で窓からは十階建位のビルに相当する高さのスタジアムが迫り、試合当日には大袈裟ではなく歓声と振動で震度1くらいとなり家が揺れるのである。

イタリアならではと思ったのは
イタリアならではと思ったのは

日本で言えば縄文時代から弥生時代にかけての時期に

ミラノに来た当初は随分驚いたが、その内に慣れてしまい街角の風景の一部と化してしまうのも不思議だ。これだけ堂々とあちこちに立って営業しているから合法かと思うと、どうも違法のようで、見回りのパトカーを目敏く見つけて、走って裏通りに隠れる姿も時々見かけるミラノで傑作でもあり、また危険なのは、女性かと思うと女装した男性(もしくは性転換した男性が街角に立っていることで、そのような場所は名所と化しているらしく、夜になると郊外から来る見物の車で引きも切らない。何故こんなことに詳しくなったかと言えば、私の勤務する会社の裏通りが、夜遅くなるとこの手の人達(つまりオカマ)の溜まり場となるためで、車で帰ろうと思ったら近郊のコモやらバレーゼ、ベルガモなどのナンバーを付けた車で大渋滞した経験が何度もあるからだが、売り手と買い手のいざこざからペルー人のオカマの一人が殺される事件が起こるに至り、近所の住民から市当局に警備強化の要望が出された。暫くは夜になると警察の車が常駐していたが、ほとぼりが醒れば、向こうも商売だからまた舞い戻って来るのは容易に想像出来ること。当局もこれではいかんと思ったらしく、ある日突然この裏通りの改修工事が始まった。

イタリア語でギターという意味だが

車が通りにくい構造にしたり、花壇を道の真ん中に作ったり、随分と費用がかかった筈だが、さてその結果は…どうも税金の無駄遣いだったような気がする。こは中南米から来た人達が多いらしく、ある週末、どんな経緯か知らない確か前述の殺人事件の直後だったと思うが、ミラノの有力紙であるコリエーレ·デッラ·セーラが、ミラノ市内の路上観察調査を行い、分布図を作ったことがある。この種の人達がよく出没する通り毎に、人数、出身地、性別などを調べたものだが、それによれば会社の裏通りの人達は、間違いなくペルーやブラジル出身の男性のようだ。また、私が自宅に帰る道すがらに立っている人達はボスニアやアルバニアなどから来ている女性達であることが判った。出身地を見ると地理的·経済的関係からかアルバニアや旧ユーゴスラビア、東欧諸国やアフリカが多いのはわかるが、中南米出身というのはどういうことなのだろうか。

何を買っても金額の桁数が多いことと

案内書には、この町で生まれ育ったひとりの哲学者がいると書かれていた。日本でも戦前戦後にかけてよく読まれた哲学書『ヴィーコの哲学』で知られるベネデット·クローチェである。彼もまた神に守られた一人だったに違いない。しばらく歩くと1111四〇メートルもあるペトローソ山が遠くにそびえ立っていた。この山はアブルッツォ国立公園とマイエッラ山塊国立公園の境界をなしている。

置き引きの被害が23件届け出られています
置き引きの被害が23件届け出られています

広大な帝国を築き上げました

アブルッツォ州の国立公園は野生的な自然が多く、手つかずのまま放置されているという感じだ。ヤギに似た珍しい動物「シャモア」やアブルッツォ産「オオカミ」まで住んでいるという。公園内に点在する町は何千年も続く歴史や手工芸の伝統を守っているスカン切り妻屋根の家並み」アブルッツォ国立公園は、なだらかな山脈もあれば、荒々しい景観や深くえぐったような谷などさまざまな表情をもっていた。特に力強い断崖の上を走る車の窓から眼下に広がる景色や絶壁は迫力満点だった。日本のアルプスでは見ることができないスケールの大きな風景がそこにはある。