イタリアのこと、そうそういつも専門店に行ける訳でもないので、その隙間を埋めるような形で通信販売が結構普及してきている

イタリア語だが、進むにつれてそうは問屋が卸さないということが判ってきた

海外パケット定額は、およそ25MBまでの通信料金が1980円しかし終わったのが午前1時半近く、隣の席に座っていたドイツ人夫妻は最後の場面を見ずに帰ってしまったが、おそらく「予習」してなかったのだろうな。でもこんな風にローマの遺跡を現役のオペラ劇場として使ってしまうという発想は、歴史を現代に生かすイタリア人のならではの発想と感慨深かった。我々日本人にとってはオペラと言うとどうしても重たいイメージになってしまうが、イタリア人にとっては、はるかに親しみやすい存在なのは間違いないようで、ポピュラーなオペラの曲をTVコマーシャルで聞くことはよくあるし、サッカーを見に行くと応援歌がオペラの替え歌だったりする(ベルディやプッチーニが多いのはお国柄か)私が丁度ミラノに来た頃、イタリアでもカラオケが大流行していたが、その原因の一つがテレビの、その名も「カラオケ」というそのものズバリの番組であった。この番組は各地を回って地元の出場者に喉を競わせるという、まあNHKののど自慢のような番組で、司会者のフィオレッロという歌手はカラオケの王様と呼ばれ、翌年のサンレモ音楽祭にも出場する活躍ぶりだったのだが、イタリアならではと思ったのは、ここにもオペラが登場するのである番組の中では「カラオペラ」と言っていたが、素人が出て来て堂々とオペラのアリアを歌うのには驚いてしまっイタリア人にとってオペラは日本人にとっての演歌のようなものかもしれない。ミラノのサンシーロ·スタジアムはACミランとインテルのホームイタリアのスポーツと言えば誰でもまず最初に思い浮かべるのがサッカー。

お気に入りのイタリアのお土産

九四年の米国ワールドカップで、ブラジルとイタリアがPルKで決勝を争ったのもまだ記憶に新しぃところだろうし、三浦カズ選、手が当時セリエA(一部リーグ)のジェノアで活躍したお蔭で日本でともイタリアのサッカーはすっかり馴染み深くなったようだ。ミラノにラはACミランとインテルの2チームがセリエAで活躍している。両ACチームの本拠地がミラノ郊外にあるサンシーロ·スタジアム。一九九0年のワールドカップ開催時、三階席まで増築された屋根つきスタジジアムは収容人員八万人、セリエAの定期戦が行われる毎週日曜日にはスファンたちであふれかえる。ロッサ私の自宅はこのスタジアムから僅か二百メートルの距離で窓からは十階建位のビルに相当する高さのスタジアムが迫り、試合当日には大袈裟ではなく歓声と振動で震度1くらいとなり家が揺れるのである。

  • ローマで大火がおきました
  • ミラノからも高速道路で五十キロ、ほんの三十分かそこらで国境を越えてしまうので、東京都内からディズニーランドに行くくらいの気楽さだが、やはり雰囲気は
  • イタリアの伝統的なそれとは明らかに異なっており

 

 

ローマで再逮捕

ミラノに来た当初は随分驚いたが、その内に慣れてしまい街角の風景の一部と化してしまうのも不思議だ。これだけ堂々とあちこちに立って営業しているから合法かと思うと、どうも違法のようで、見回りのパトカーを目敏く見つけて、走って裏通りに隠れる姿も時々見かけるミラノで傑作でもあり、また危険なのは、女性かと思うと女装した男性(もしくは性転換した男性が街角に立っていることで、そのような場所は名所と化しているらしく、夜になると郊外から来る見物の車で引きも切らない。何故こんなことに詳しくなったかと言えば、私の勤務する会社の裏通りが、夜遅くなるとこの手の人達(つまりオカマ)の溜まり場となるためで、車で帰ろうと思ったら近郊のコモやらバレーゼ、ベルガモなどのナンバーを付けた車で大渋滞した経験が何度もあるからだが、売り手と買い手のいざこざからペルー人のオカマの一人が殺される事件が起こるに至り、近所の住民から市当局に警備強化の要望が出された。暫くは夜になると警察の車が常駐していたが、ほとぼりが醒れば、向こうも商売だからまた舞い戻って来るのは容易に想像出来ること。当局もこれではいかんと思ったらしく、ある日突然この裏通りの改修工事が始まった。

ヨーロッパ最高峰のモンブランを始め、モンテローザ、マッターホルン

車が通りにくい構造にしたり、花壇を道の真ん中に作ったり、随分と費用がかかった筈だが、さてその結果は…どうも税金の無駄遣いだったような気がする。こは中南米から来た人達が多いらしく、ある週末、どんな経緯か知らない確か前述の殺人事件の直後だったと思うが、ミラノの有力紙であるコリエーレ·デッラ·セーラが、ミラノ市内の路上観察調査を行い、分布図を作ったことがある。この種の人達がよく出没する通り毎に、人数、出身地、性別などを調べたものだが、それによれば会社の裏通りの人達は、間違いなくペルーやブラジル出身の男性のようだ。また、私が自宅に帰る道すがらに立っている人達はボスニアやアルバニアなどから来ている女性達であることが判った。出身地を見ると地理的·経済的関係からかアルバニアや旧ユーゴスラビア、東欧諸国やアフリカが多いのはわかるが、中南米出身というのはどういうことなのだろうか。

 

ヨーロッパでも11週間以上かかる例も希ではない

イタリアの町は戦災のあとも昔の通りに復元された町並みが多いから、町の雰囲気は戦前とそう変わってはいない案内書には、この町で生まれ育ったひとりの哲学者がいると書かれていた。日本でも戦前戦後にかけてよく読まれた哲学書『ヴィーコの哲学』で知られるベネデット·クローチェである。彼もまた神に守られた一人だったに違いない。しばらく歩くと1111四〇メートルもあるペトローソ山が遠くにそびえ立っていた。この山はアブルッツォ国立公園とマイエッラ山塊国立公園の境界をなしている。

イタリアが同時にかかえるふたつの顔なのアブルッツォ州の国立公園は野生的な自然が多く、手つかずのまま放置されているという感じだ。ヤギに似た珍しい動物「シャモア」やアブルッツォ産「オオカミ」まで住んでいるという。公園内に点在する町は何千年も続く歴史や手工芸の伝統を守っているスカン切り妻屋根の家並み」アブルッツォ国立公園は、なだらかな山脈もあれば、荒々しい景観や深くえぐったような谷などさまざまな表情をもっていた。特に力強い断崖の上を走る車の窓から眼下に広がる景色や絶壁は迫力満点だった。日本のアルプスでは見ることができないスケールの大きな風景がそこにはある。

ローマを訪れた

ミラノの大聖堂などにみるような、天に昇れ昇れとばかりにのびる建築

ベローナへと向かう青い澄み切った空の下で、あの遠い日に起きた出来事はまるで嘘だったかのように、海の美しい輝きは今も昔も何一つ変わっていない。そのギャップを感じながら、時を超えて今につづく静寂に満ちた景色を私は忘れることができなかった。では、オルトーナの歴史を振り返ってみよう。ワイン造りに適した地オルトーナの要塞は、「アラゴン要塞」と呼ばれ、ナポリ王国を領有したアラゴン王アルフォンソ五世が一四四八年に建てたものだった。その後、このオルトーナは時を経てイタリアの貴族「ファルネーゼ家」に嫁いだオーストリアのマルゲリータ王女に買い与えられた。

買い忘れた時でも大丈夫、オーストラリアのお土産

一五八二年のことである。テラモ県の「カンブリ」という町でもすでにファルネーゼ家について触れたが、ファルネーゼ家はイタリアでもローマ法王を輩出するほどの家柄であった。カンブリの町は陶器や毛織物で潤っていたが、マルゲリータはこの土地にもビジネスチャンスがあると考えたのだこの紺碧のアドリア海を見ながら彼女が考えたのは、この地で伝統的に受け継がれてきたワイン造りだった。このアドリア海沿岸の地域やその内陸で生まれるワインはまたたく間にヨーロッパの宮廷祝宴で好評を博したという。確かに、海岸沿いを走りながら右手に見えるなだらかな丘は、どこもかしこもブドウ畑だった。

  • フィレンツェ近郊に生まれます
  • イタリア人にとって身近にない文化だから劫って興味を持って読まれるのかもしれないが、未だに謎
  • ミラノではごく普通の現象

 

 

ローマで児童虐待の罪で逮捕されたアルバニア人グループは、不法入国したアルバニア人の子ども達に

さて謎解きです。なぜMDCCCXVが1815なのでしょう。時計の文字盤などで、皆さんも1,2,3,4がローマ数字では1,11,111,IVと表わされることはご存じだと思います。時計では12までしかありませんので、X11で終わってしまいますが、実はその先がまだあるのです。時計の例で言えばv-5、X-10、これらの文字の左に1が来てIV,IXとなればそれぞれ1を差し引いて4と9を表し、ぞれ1を足して6、11となりますね。

ローマ帝国と教皇の意見相違が絶えなくなるのでした

同じ原理がもっと大きな数字でも応用できるのです。右側に1が来てVI,XIとなればそれローマ数字ではx-10の上にし:50,C-100.D-500、M-1000と続きます。つまり、前記の例で言えばMDCCCXV=1000+500+100×3+10+5-1815と言うことになる訳です。この方式で言えば今年、2013年はMMX111となります。ややこしいですね。

 

ペルージャとの戦いの場へと向かった

ミラノでは会社や銀行、それに役所も大体朝八時半の始業であるが目的地に向かうのに絶対に必要なのが“地図”。日本でもみなさんよく使っているであろう「マップ」はどう行けばよいかがすぐにわかります!ナビ機能を使えば、あなたをしっかりと目的地までご案内。はオフラインでも使えますよ。アプリは、海外でもやっぱり便利。紙の地図と違って、自分の現在位置の確認、そこから目的地に行くにレンタカーを借りたけど、カーナビが全然あてにならない!というときにも対応できますGPS機能★使えるアプリは事前にダウンロードしておこう現地に着いてすぐに行動したい、翻訳アプリいざという時にあたふたしないためにも、便利なアプリは国内でダウンロードしておきましょう。

ナポリではリズムが違うし英語に多少の自信があっても、いざ話そうとすると、なかなか出てこないことも多いはず。翻訳アプリがあれば安心です。気軽に調べてどんどん会話しちゃいましょう。単語を調べたいときの辞書代わりにもなります。英語を話すのが苦手な方は、出入力に音声機能がついているものを。

イタリアでいまも国民的な人気を誇る聖女

イタリアと比べるとどうしても目立ってしまう

イタリアではエスプレッソを意味しいますこのセッテベロも今では現役を引退し、ファンサービスの為に時々特別列車として走るだけになってしまったため、滅多に見る機会には恵まれないが、たまたまミラノに来て間もない頃、フィレンツェに出かける早朝のミラノ中央駅で感激の初対面をした。さすがに多少古びてはいるが、ピカピカに磨かれた車両はとても四十年前のデザインとは思えない。カメラを持っていなかったのを後悔したが、何れまた再会の機会もあろうと、中央駅を出発する列車の中から「アリベデルチ」とつぶやいたものだ。十一月一日はオンニサンティ(日本で1万聖節と訳されている)の休日。前日のハロウィーンの方が日本では知られている。

情熱の国スペインのお土産と言えばこちら

この日はイタリアでは休日で翌11日が「故人を偲ぶ日」となっているためか、多くのイタリア人が家族揃って菊の花束を持ってお墓参りに行く。秋の一日、ご先祖様を慰める(という感覚がイタリアにあるのかどうかは知らないが)という慣習はいわばイタリア版お盆と言っても良いだろう。ミラノ市内のバスやトラムも郊外の主要な墓地迄特別運行をするし、車の後ろに菊の花を満載して走っている墓参りの車もあちこちで見る。また、各地の墓地の周りは駐車する車で一杯になる。イタリアの墓地は立派な入り口を持ち、周りを石造りの壁で囲まれているのが一般的で、そのスケールを大きくしたものがミラノの市内にある記念墓地(チミテロ·モヌメンターレ)である。

  • フィレンツェと覇権を争った
  • イタリアに住んで大分勝手が判って来ているので、食事の時も如何にも観光客向けのレストランは避け、裏通りの地味なトラッテリアに行って見たが、ここも外国人こそ少ないが今度は
  • ミラノ公国私たちも現在彼らの作品の多などの都市国家が群雄割拠の状態でした

 

 

イタリア語も出来ないので

外気にさらされてかなり剥げていたが、宗教画であることにはまちがいない。こんな外にまで神との対話を求めていた人びとがいたのだ。道路をわたると岩壁と洞穴の段差を利用し、道路より低い位置に建てられたシンプルな小さな教会であった。扉はかたく閉ざされていた。内部に入ることはできなかったが、質素で瞑想にふさわしい清雅な佇まいであった。

ミラノの電話帳を見ると、不思議なことにジャポーネ日本とかジャポネーゼ日本人という名前の人が載っているのだが一体どういう人達であろうか

案内書によれば、教会内の岩肌に描かれているのはイエス·キリストの生誕物語だという。歴史的価値があるこのフレスコ画を間近に鑑賞するのは次回のお楽しみ、ということになった。教会の脇に流れる小川のせせらぎが忘れられない。まるで水が語りかけているような音だった。このとき、生まれて初めて水に命があるということを意識したのだった。

 

トリエステ、南チロルなどに代表される未回収のイタリ지問題というものがありたのです

フィレンツェ出身の画家レムスを殺した紀元前753年4月21日はローマ紀元元年となって、西暦が導入されるまで(西暦とはキリスト生誕年を元年とするもの)使用されたのでした。ローマ市の誕生日はこの4月21日となっており、今でもこの日に祭りが行われます。王政から共和制へこの時代のローマは今現在存在する、フォロロマーノの中心にあるパラティーノの丘を筆頭とした7丘が生活拠点となっておりました。チルコマッシモをはさんでパラティーノの丘の南側、アヴェンティーノの丘ミケランジェロが建設したカンピドリオ広場の前、今の市庁舎が建つカンピドーリオの丘トレビの泉近くのクイリナーレの丘サンタマリアマッジョーレ教会近くのヴィミナーレの丘(左上)コロッセオの南東に位置するチェリオの丘(チェリオモンターナ)サンタマリアマッジョーレ教会裏エスクイリーノの丘などの7つの丘を中心に栄えておりました。今、町として栄えている昔の丘と丘の間は、その昔沼であり、この沼ではマラリアが蔓延しており、健康上の問題より人々はの上に住んでいたのでした。

イタリア人気質丸出しになることが多く、時折いる女性のタクシー·ドライバーといえども例外ではないところが紀元前6世紀、5代目の王が高度文明をもつエトルリアの血をひく優れた王であり、この王が排水工事を行い、丘の麓にも町が広がり始めたのです。このときにセメントが発明され、水道橋が作られます。そして有名なフランスのボンドゥガールなどが建築されるのです。子豚の丸焼きで有名なセゴビアの水道橋タラゴナの水道橋リスボンの水道橋さてではなぜ水道橋をつくったのでしょうか??たとえば、今のローマで番人気の高い観光地、そうスペイン広場。実はこの広場にある泉の水は今でも当時の水道橋を利用して水が供給されているのです。

イタリアとして

イタリアとアフリカを統治しまさて、このディオクレティアヌス帝

ョッキニョッキとのびる建築。この高さを成功させるために生まれた技術が尖頭アーチ。ロマネスクの円筒アーチを発展させた物です。そしてそれだけでは天上を支える力が少ないので、今度は壁から支えるために開発されたのが、フライングバットレス。上記の二つの技術のおかげで、壁を薄くすることに成功するのでした。

やっぱりタイのお土産と言えばこちらです!

そしてその壁をくりぬき、新たにくわえられたものが、そう、ステンドグラス。こうしてゴシック建築の特徴·築物ができあがるのでした。ニョッキニョッキと天に向かってのびる建築、そしてこれでもかとちりばめられるステンドグラス、さらにはガーゴイルと呼ばれる雨樋でもある魔除けなどはリ、神々い建この様式は16世紀頃まで流行ります。ルネッサンスそしてとうとうルネッサンスです。上記のゴシック建築はさほどイタリアでは流行らなかったのでした。

  • ミラノでは十二月七日が守護聖人であるサンタンブロージョ聖アンブロ-ジョの日
  • イタリアの旅行記にもこんなことは書いてなかった
  • イタリアにはこの他にも一六か所の教会の壁面に回文が刻み込まれているのが発見されているフランスとスイスに国境を接している

 

 

ペルージャはその昔、エトルリア人によって建設された

宗教改革の嵐の中で新しい理念をもって創設されたイエズス修道会の存在を知ると、刑期を終えたら入学試験を受けたいと真剣に考えた。本来ならば「罪人」は聖職者になれないし、入会もできないが、彼が名門の出であること、人が変わったように真面目になったこと、そして何よりも飛び抜けて成績がよかったことなどが加味され、試験資格を得て合格する。イエズス会士アレッサンドロ·ヴァリニャーノの誕生であるそして、ローマにあるイエズス会のローマ学院で布教に必要な知識をさらに学んだ。「お父上、私はカトリック教会を建て直すために本物の神父になって故郷に戻ってまいります」思った通り、ヴァリニャーノは最高の成績で終えると、すぐに教師の地位を与えられ、入会する修練生たちを教える側になった。この時一緒に学んだ同級生に、のちのイエズス会会長アクアヴィーヴァがいた。

彼とは終生の親友となり、ヴァリニャーノのアジアでのカトリック布教を精神的にも物質的にも支える人物になる。彼の学生の中にはのちに中国布教の立役者となったマテオ·リッチがいた。「カトリック教会を立て直す」と言ったのは、この時代、マルティン·ルターによる『九五ヶ条の論題』がヨーロッパのカトリック教会を脅かしていたからである。宗教改革の幕開けは、第。のカンブリという町で綴った、ローマにあるあの「スカラ·サンタ」が引き金になっていたなどと誰が想像しただろうか。

 

ラクイラで栽培されているサフランを使用しているから

ミラノのあるところは平原で郊外には湿地帯や林が拡がり、市内にも結構緑地が多いので、蚊の発生する場所には事欠かないと言うことだろう。実際、初夏になるとスーパーマーケットの棚には、虫よけスプレーや虫刺されの薬と並んで、蚊取り線香と無煙蚊取り(日本のスープ」がライセンス生産されており、イタリア語読みで「バベと言う)が大々的に売られているのには驚いた。ミラノの家には冷房がないから、夏は窓を開け放し、タッパレラという鎧戸を薄く隙間を空けて閉めておくのだが、我が家などはアパートの五階なのに夕方になると酉日のあたる外壁の上昇気流に乗って蚊が入って来るのには悩まされた。次女のためにベビーベッド用の蚊帳を買ったのだが、スーパーマーケットでよく見たら、大人のベッド用の蚊帳も売っていたのにもびっくりである。夏場、レストランで中庭のある所などは、テーブルを外にしつらえ、葡萄棚の下で食事が出来るようになっていたりする。

よく晴れた日の夜(と言っても日が長いので午後九時過ぎでもまだ明るい)、こうしたレストランで食事をするのは本当に気分の良いものだが、ここでも蚊の攻撃から逃れることはなかなか難しい。レストランの方も殺虫灯を設置したり、各テーブル毎に蚊取り線香を置いたりと防戦にこれ努めているが、もしこうしたレストランに事前に行くことが判っていれば、防虫スプレーをたっぷり手足にかけて出かけるより他に手段はなさそうである。それなりの苦労を厭わなければ、楽しみもまたないと言う訳だ。夏休みにアルプス東部のドロミテ山塊で過ごした時のこと。幸い天候に恵まれ、連日あちこちの山に登ったり、峠に建つホテルから四方八方に伸びる散策路を散歩していたが、ある時突然目の前に現れたのが、第一次大戦中のトーチカの跡森林に囲まれた小高い丘の頂上を削り、北から東にかけ、ほぼ九〇度の角度にぐるりとコンクリートで半地下の頑丈な壕が作られている。

フィレンツェはメディチ家の支配下にありました

イタリア人に限らず欧州の人々は米国に対し複雑なある意味では屈折した感情を持っているので、例えば米国の例ばかり引き合いに出すと嫌われるのは確実

邦訳も出ているジョルジョ·ヴァザーリの「ルネサンス芸術家列伝」を読むと、ルネサンスの芸術家は皆大変人間臭く、500年前に生きていた人たちとは思えないような親しみを感じます。レオナルド·ダ·ヴィンチが結構お茶目な性格で、来客を相手にいたずらを仕掛けたとか、僧であるフィリッポ·リッピが修道女と恋に落ちて駆け落ちしたとか、ラファエロが自分と恋人の顔をヴァチカンの壁画に描きいれてみたとか、ウッチェロが遠近法に夢中になって寝食も忘れたなどのエピソードは、現代であってもおかしくないような話ですね。人間の描き方ルネサンス期以前の絵画と言えば、ほとんどが宗教画、つまりキリスト教の布教のための絵画でした。例えばイエス·キリストの姿を描くにしても、平面的で正面からとらえた構図が多く、表情も無表情なものが多いのが特徴です。これに比べると同じ宗教画であっても、ルネサンス期以降に描かれたものでは感情の動きを描写し、より人間的にとらえた表現が多くなっています。

お気に入りのイタリアのお土産

これがルネサンス期を人間復興運動と表現する理由の一つとなったと思われます。またルネサンス期には、それまで余り描かれることがなかったギリシャ神話やローマ神話に題材を取った作品も多く見られ、ウフィッツィ美術館にあるボッティチェリのヴィーナス誕生などはその典型と言えるでしょう。この写真はフィレンツェのサンタ·マリア·デル·カルミナ大聖堂の礼拝堂に描かれたルネサンス初期の画家、マザッチョのフレスコ画です。左側にはエデンの園を追放されるアダムとイブが描かれていますが、宗教画でこれほど感情を豊かに表現したのは、この作品が初めてと言われています。フレスコ画は建物の壁面に直接描かれているだけに、持ち運びの出来る絵画と違い、日本の展覧会で見ると言う訳には行きません。

  • イタリアは欧州大陸時間に属しており、日本とは八時間夏時間の時は七時間の時差で
  • トリノを測るグラン·サッソ国立研究所
  • ミラノ、フィレンツェなどが海運や商業によって繁栄するようになり、実質的には独立した政治的権限を持つ都市国家へと発展するのです

 

 

ヴェネツィア共和国は、ナポレオンの反感を買ってしまうのです

従って、この館や庭園の存在を知らない人が、偶然見つけて訪ねてくることは殆ど不可能に近い。そのせいかどうか、よく晴れた日曜の午後なのに、訪れる人も大しておらず、フレスコ画のある館の内部をじっくり鑑賞し、山の斜面に作られた広々とした芝生の上で子ども達を思う存分遊ばせたり出来た。それにしても、これほど沢山の城や館が公開されているのに、このこと自体余り知られておらず、そうした場所に行った話も余り聞かないのは何故だろうか。イタリア人とて、こうした立派な建物や庭に興味がないとも思えないのだが、二百年や三百年経った建物など、イタリアではどこの町でも田舎でも珍しくないから、私のように4%わざ車で一時間もかけて見に行く物好きは少ないと言うことなのだろうか。昔の日本でわざわざ藁葺き屋根の家を見に行く人間がいなかったのと同じことかも知れない。

私が訪ねていった館は、このガイドブックを発行した組織FAI(イタリア環境基金)が管理していたが、パンフレットを見るとこの組織は丁度英国のナショナルトラストのような活動をしているようだ。全国各地の古い城や館を買い取って、一般公開しているのだが、直接所有しているケースはまだまだ限られているガイドブックに紹介されているもの以外に、一般公開されていない私有の城や館がイタリアにはまだ沢山あるのも事実だが、所有者が自ら居住していることも多く、公開には消極的のようである。内側の豊かさを外に見せたがらないイタリアらしい話ではあるが、膨大な維持費が負担にならないほどの富を持った人達が多いとすれば、これはまた驚くべき話であろう。カンパニリスモという言葉は日本では馴染みがないが、敢えて訳せば愛郷心、郷土愛といったところになろうか。日本でも関東と関酉の出身者がお互い意識するとか、出身県によるつながりの強さを誇示する場合がよくあるが丁度日本の明治維新の頃に統一国家となったイタリアでも郷土意識は日本以上に強烈なものがある。

 

ローマのティレニア海側とアドリア海側を横断する重要なルート

英語がまったくわからなくてもスマホに向かって話してもらえば、簡単に調べることができますし、自分の言いたいことをアプリに英語で発言してもらうことも可能です。人混みや立ち止まれないような場所の検索にも役立つでしょう。音声通訳アプリ翻訳アプリを一歩進めたものです。数など、種類はさまざま。スマホに自国語で話しかけると外国語に訳してくれます(日本語→外国語、外国語→日本語)。

発音してくれる機能がついているものもあります。無料、有料、対応言語のレート換金計算機アプリ100円って何ユーロ?10ユーロっていくらだろうがちです。こまめに計算して無駄遣い抑制!単位換算アプリ?こんなときのために、レート換金計算機アプリを入れておきましょう。お金の単位が違うと商品の価値がよくわからず、お財布の紐がゆるくなり単位の違いというものはなかなか慣れないもの。立ちますお天気アプリ目的地までの距離やその日の気温など、フィートや華氏をはじめとした外国の単位を、メートルや摂氏などのなじみの単位に換算してくれるアプリがあると役登録した複数の都市の天気を知ることができるアプリ。